就活をしている。
第一志望の企業にお祈りされた。
今までの準備と、私自身とを否定された感覚が強く残る。
就活をしていて「自己分析をして自分はどのような人間なのかはっきりさせる」、「素直な自分で面接に挑む」などという文言をよく聞く。
それはつまり生身の自分自身を曝け出しているということであり、選考で落ちることは自分を否定していることになるのではないかと考えてしまう。
なぜこんなにもショックを感じるのか。私は、人間が日常的にペルソナを被っていることが関係していると考える。ペルソナは自身の内面を守るためのものであり、これがあるからこそ自分のことを守ることができるのだ。
しかし、上述のとおり、就活生は「私はどんな人間なのか」ということを徹底的に分析し(分析させられ)、ペルソナのさらに深くを探る。
結果、普段晒されない内なる自分といったものを表現し、その結果がお祈りだと、真の自分が否定されたように感じるのだ。
もちろん、企業も学生のことを知りたいと思うためにこのように促すのは理解できる。
だが、ある程度のペルソナは必要なのかとも感じた。
本当につらい。だがやるしかない。
機械的に。内定が出るまでとにかく。
精神がぼろぼろになっていく。
闇の中でライトを持たず歩く。